運命鑑定師の本音。

庶民の本音をズバリ。

日々の生活の中で思ったこと、気づいたこと、知ってほしいこと。
庶民の庶民による庶民のためのブログです。


尊敬できる人はいますか?

 

価格高騰で諦めていたタコ様が我が家にいらっしゃいました。

大・感・動!

 

 

 

どうも庶民です。

いや~、、お久しぶりでございます。

 

 

師走・・本当にバタバタと・・・

 

 

「わたし、暇なんで^^」

 

が口癖の庶民も

今月だけはそうも言っていられませんでした。。

 

 

そんななか、師匠からお歳暮が届きました。

 

まさかの増毛産生タコ様!!!

立派なおみ足!!

アーンド(&)

酢ダコ様!!!

 

あまりの美味しさに涙が・・・・

今年食べたものの中で一番美味しかった・・!!

本当に感謝感謝です。

 

そこで

今年最後のブログ更新となる今回のテーマを

『師匠』

とさせて頂きます。

 

 

ご存知の方も多いかと思いますが・・

私の師匠は経済難民です。

あ、

間違えた

大変素晴らしい質素な修行僧です。

 

お金に目がくらんで欲に溺れることなく

本当に困っている人々に分け隔てなく救いの手を差し伸べる

尊い方です。

 

これは決して大げさに誇張して言っているわけではありません。

実際に自分の目で見てきて、そう確信しています。

 

 

実は庶民

師匠に出会うまでは

尊敬できる人」という存在がいなかったのです。

 

「尊敬できる」だけではなく、

憧れる

目標

追いかけたい人

という存在ができたことがありませんでした。

 

 

周りの友人は

「憧れのモデルがいる」

とか

「目標としている経営者がいる」

とか

「大好きなアイドルを応援する」

とか

誰かしら興味を持つ相手がいるという人が大半でした。

 

 

庶民は

好きな芸能人もいなければ

尊敬している偉人もいなければ

追いかけたいほど好きな人物もいませんでした。

 

正確に言えば、

好きな有名人(イケメン)などは確かにいましたが

「じゃあ、会いに行きたいですか?」と聞かれれば

「別にいいです。」という程度です。

 

 

昔、高校の何かの授業のときに

「あなたの尊敬している人は?」

 

と先生が質問をして

 

生徒がそれぞれの憧れの人や尊敬している人物の名前をすらすらと口にしているなかで

私だけ

 

「いません」

 

と言ったのを今でも覚えています。

 

その時に

尊敬できる人物を自分の親と言った生徒がいました。

 

 

今ならわかりますが、

尊敬できる人物が自分の身近にいることはとても幸せなことです。

ましてやそれが自分の親となれば、

こんな素晴らしいことはありません。

 

私も将来

自分の子供に

『尊敬できる親』と思われたいな~~・・・

 

 

なぜ

自分には「憧れの人」や「尊敬できる人」がいなかったのか・・・

たぶん、私は極端に執着心がなかったのです。

 

あればあったで良いけど

ないならないで良いよ。

 

というスタンス。

 

 

だから

自分の進む道や、やりたい事に悩んだ時、

道に迷いやすい状態でした。

 

執着は人間の持つ感情の中でもマイナスなイメージが強いものですが

実は

良い事に対しての執着は必要なんです。

 

極論を言えば・・

生きるという事に対しての執着

です。

 

これがなければ人間は生きていけません。

 

 

さすがに、生きる執着は持っていましたが

他人に対する執着、物事に対する執着があまりにもなかったため

昔の庶民はず~っとふらふらとしている状態でした。

 

 

『まなぶ(学ぶ)』という言葉は

『まねる(真似る)』という意味からきています。

 

何かを学ぼうと思ったら、その学びたい事をすでにやっている人物を真似ることが一番の成長の近道なんです。

 

 

庶民は、

これまでにたくさんの『大人』を見てきました。

幼い頃から普通とは言えない家庭環境で育ち、変な人たちの集会のようなものに連れまわされ、子供を騙し、弱者を食い物にするズルイ大人たちを見てきました。

 

だからでしょうか。私は人を信用することができませんでした。

人と仲良くなることは簡単です。

遊びにも行くし、楽しく会話もします。

けど

絶対に超えられない一線が常に存在していました。

つまり、表面上の付き合いしかできませんでした。

 

じゃあ、

そんな庶民がなぜ師匠に対してここまで心を開けたのか・・?

 

それはね、

 

師匠の

言っている事とやっている事が常に同じだからです。

 

 

とても単純な話でしょ??

『自分の言った事に対して行動が伴っている』ということです。

 

口では綺麗ごと言って、実際には行動を起こしていない・・

なんていう人は五万といますよね。

私もそういった人たち(大人)ばかり見てきました。

 

だからこそ、師匠の言動を見て衝撃を受けました。

 

 

例えば・・・

 

「本当に困っている人こそ手を差し伸べてあげなければならない」

と言っていたらば

生活苦のシングルマザーからは一切の依頼料を受け取らずに浄霊したり

 

「何か困ったことがあればいつでも連絡しなさい」

と言っていたらば

夜の10時過ぎに泣きながらかかってきた電話をとり、すぐさまその人の自宅へと駆けつけたり、

 

「もらった恩は必ず周りに返すんだよ」

と言っていたらば

珍しくお金に余裕が生まれたときは弟子や檀家さんにご馳走してくれたり、、、

 

 

自分の言ったことをそのまま「行い」として実行しているんです。

いや・・逆なのかな・・?

 

自分のしている行いを口にしているだけなのかもしれません。

 

 

出会った当時の私は、まだまだ人を信用しておらず(もちろんこの時は師匠も信用していなかった)

「いつでもお茶に誘ってね~」

なんて言っていた師匠の言葉を利用して、

ある日、本当にお茶に誘ってみたんです。

どうせ社交辞令だったということはわかっていたんですが、その時なぜか異様に師匠に興味を感じていたのでメールを入れました。

 

すると

すぐに返事がきて

「15時くらいなら良いよ♪」

 

そして本当に2人で珈琲を飲みながらただただ世間話をして解散・・・

 

 

 

私にとっては衝撃でした。

そこからです。。師匠の言動を見ていると

つじつまが合わないことは何一つされていないことに気が付いたんです。

 

その時、生まれて初めて尊敬できる存在が私にもできました。

 

そこからは全くフラフラすることはなくなりました。

何か迷いが生じた時には師匠の背中を見て、その言動をお手本として学んで(真似て)きました。

 

お手本となる人物が存在するということは、これほどまでにありがたいことなのか・・・・

叱られるということが、これほどまでに嬉しく感じられるのか・・・と

身に染みて実感しております。

 

 

その師匠には、さらに偉大な師匠がいて、その偉大な師匠にはさらに師匠がいて・・・

 

受け継がれてきた尊い教えと尊いご縁にただただ感謝するばかり。

 

 

今年は師匠にとっても私にとっても転機となる1年でした。

 

 

もっともっと自分にも何かできることがあるはず。

もっともっと人の為に役立つことができるはず。

もっともっと精進して少しでも師匠に近づきたい。

 

そう思える私は

幸せ者ですね。

 

こんな愚弟ですが、少しでも師匠のお力になれれば・・

そう思っていた私に

師匠がこう言いました。

 

いいかい。常に依頼者(困っている人)の事を一番に考えるんだよ。

 

静かに諭された瞬間でした。

・・そうですよね。私が今修行をしているのは決して師匠のためではない。

1人でも多くの困っている人に手を差し伸べるため。。

本当に私は未熟者だな~と痛感しました。

 

 

なんだか自分の事ばかり話していて恥ずかしいのですが、

これは自分を戒める意味も込めて文字にしています。

 

 

 

さて、

みなさんには尊敬できる人はいますか?

心の底から信頼している人はいますか?

自分より立場の弱い人を守っていますか?

 

 

 

ぜひ一度振り返ってみてください^^

 

 

2018年も無事に健やかに過ごせたことに感謝し

希望に満ち溢れた新年をお迎えしましょう☆

 

いよいよ明日は大晦日。。

寒さも厳しくなってくる時期なので、どうか皆様もお体ご自愛ください。

このブログを読んでくださっている全ての方に深い感謝の気持ちを込めて

歳末の挨拶とさせていただきます。

 

それでは、よいお年を~~!

 

 

「笑ってはいけない」で年越しだ~~~~!!!